白山信仰の開祖、泰澄大師
奈良時代、泰澄(たいちょう)大師は白山を開き、都の貴族(きぞく)にも白山信仰(しんこう)を広めました。白山神社は全国各地に2700社を数えます。
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- 泰澄大師の生涯(福井県)
- 奈良時代の少し前、越前国麻生津(あそうづ)の三神安角(みかみやすずみ)の次男として誕生したと伝えられています。
14歳の頃から越知山(おちさん)で修行して霊験(れいけん)を高め、36歳の時、夢のお告げを受け白山を開山。元正天皇(げんしょうてんのう)の疱瘡(ほうそう)を加持祈祷(かじきとう)で全快(ぜんかい)へと導いたとも言われています。
越の大徳(こしのだいとく)とも称され、その白山信仰は越前を中心に広まり、白山は修験(しゅげん)の霊場となりました。
晩年は再び越知山で修行の日々を送り、86歳でその生涯(しょうがい)を閉じました。
国所蔵(文化庁保管) - 白山禅定道と白山信仰
- 平安時代中期になると、越前(福井県)・加賀(石川県)・美濃(みの:岐阜県)の三方から山頂に至る禅定道(ぜんじょうどう)が開かれました。
その登り口は、馬場(ばんば)といわれ、越前には平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)、加賀には白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)、美濃には白山長瀧神社(はくさんながたきじんじゃ)があり、白山信仰の拠点として厚い信仰を集めてきました。
泰澄大師を開祖とする白山信仰の神社は、今も全国に2700社以上を数えます。
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©平泉寺白山神社 - 産業を発展させた泰澄
- 泰澄(たいちょう)大師は、修行を積んで白山信仰を広めただけではなく、養蚕(ようさん)や製紙(せいし)などの産業の発展にも関わりがありました。
越前の岡本(現在の越前市岡本)では、紙漉(す)きの神様・川上御前(かわかみごぜん)を偲(しの)び、大瀧寺(おおたきじ)現在の大瀧神社を建立(こんりゅう)。
奈良時代に入って仏教信仰が盛んになったこともあり、越前和紙は写経(しゃきょう)用の紙として朝廷に送られ、一方では、祈祷(きとう)用の護摩札(ごまふだ)として全国へと広まりました。
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©大瀧神社・岡太神社
©福井テレビ - 平泉寺白山神社
- 泰澄(たいちょう)大師が白山の登り口に建立した古社(こしゃ)で、平泉寺はその別当寺(べっとうじ)です。
室町時代には四十八社・三十六堂・六千坊・僧兵八千人を数える隆盛を誇りましたが、1574年、一向一揆(いっこういっき)により破壊されました。その後再建され、明治に入り平泉寺白山神社になりました。
境内は国史跡に指定されており、杉の巨木と一面の緑の苔(こけ)が広がる庭園は国の名勝になっています。また石畳の参道は「日本の道百選」に選ばれています。
©平泉寺白山神社 - 不思議な神通力
- 『泰澄和尚伝記(たいちょうおしょうでんき)』に神通力の話があります。
弟子の臥行者(ふせりのぎょうじゃ)は、日本海を通る船に、越知山(おちさん)から鉢を飛ばして布施(ふせ)を求めていました。
ある日、いつものとおり布施を求めると、船頭(せんどう)は都に送る官米だからと断りました。すると鉢は越知山に飛び戻り、米俵も次々と飛び去っていきました。
驚いた船頭が越知山に行ってみると、その米俵が積み上げられていました。船頭はわびて米俵を返してもらい、都の帰りに弟子入りし、浄定行者(きよさだのぎょうじゃ)と名乗ったと伝わります。
歴史年表
- 682年(白鳳11年)
- 現在の福井市三十八社町に生まれる。
- 702年(大宝2年)
- 文武天皇から鎮護国家の法師に任じられる。
- 717年(養老1年)
- 加賀国の白山にのぼり妙理大菩薩を感得。
- 722年(養老6年)
- 元正天皇の病気平癒を祈願し、神融禅師の号を賜る。
- 737年(天平9年)
- 疱瘡の流行を収束させ大和尚位を賜る。
- 768年(神護景雲元年)
- 86歳で越知山にて入滅。
- ※『泰澄和尚伝記』より
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泰澄寺
泰澄大師が生まれたとされるお寺。泰澄大師の産湯に使ったと言われる井戸が残っている
大谷寺
泰澄大師の開創、1300年の歴史を誇る。石造九重塔は泰澄大師の墓と伝えられる
三峯の大イチョウ
古来より銀杏の気根や皮を煎じて飲むと母乳がよく出るといわれ、泰澄大師の母も乳の出が悪かったことから訪ねたという逸話が残っている
大瀧神社・岡太神社
全国で唯一の紙祖神を祀る神社。大瀧神社は719年に泰澄大師により大瀧寺として建立された
平泉寺白山神社
養老元年(717)に泰澄大師によって建てられた修験道三聖地の一つ。中世には6千の寺坊、8千の僧を抱え隆盛を誇ったといわれる
糸崎寺
泰澄大師が建立した古寺。西暦奇数年には、4月18日に仏舞が奉納される
中山寺
奈良時代に聖武天皇の勅願により泰澄大師が創建。本堂は重要文化財に指定されている
白山
泰澄大師により717年(養老元年)に開山された。古くから霊峰として信仰されている