剣豪、佐々木小次郎

宮本武蔵(みやもとむさし)との巌流島(がんりゅうじま)の決闘で有名な剣豪(けんごう)。福井市の一乗谷(いちじょうだに)で剣の修行を積み、燕(つばめ)返しの剣法をあみ出したといわれています。

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謎の多い生涯
巌流島(がんりゅうじま)の決闘は、小説や映画、ドラマなどでよく知られていますが、小次郎の生涯は多くの謎に包まれ、生まれた場所についても様々な説があります。

江戸時代の書物『二天記(にてんき)』によると、小次郎は、一乗谷(いちじょうだに)の浄教寺(じょうきょうじ)現在の福井市浄教寺町に生まれたとされています。

この他、山口県の岩国市など福井県外にも小次郎が生まれたと言われる場所が数多く残っています。
浄教寺出身説
『二天記(にてんき)』によると、一乗谷の浄教寺(じょうきょうじ)現在の福井市浄教寺町に生まれた小次郎は、戦国武将・朝倉氏の剣術指南(けんじゅつしなん)だった富田勢源(とだせいげん)の道場で学んだとされています。
富田勢源金沢工業大学ライブラリーセンター所蔵
秘剣燕返し
「秘剣燕(つばめ)返し」は、小次郎があみ出した剣の極意。

実際にそれがどんなものだったかはよくわかっていませんが、一説には滝の近くをツバメが背をひるがえして飛ぶ姿を見て極意を得たと言われています。

また素早く方向転換して飛ぶツバメを敵に見立てて斬り、完成した剣法とも言われています。
「秘剣燕返し」をあみ出した場所と言われる一乗滝©福井テレビ

歴史年表

生年不詳(永禄年間)
1558~1569年の永禄年間に生まれたと見られている。
1612年(慶長17年)
現在の山口県にある舟島(巌流島)で宮本武蔵と決闘。敗れて命を落とす。

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勢源道場跡

佐々木小次郎も学んだ富田勢源の道場跡

一乗滝

佐々木小次郎が修業に励み、秘剣「燕返し」を編み出した場所とされる

小次郎公園

佐々木小次郎ゆかりの公園。谷の奥にある柳の滝で修行したといわれている

柳の滝

権現山にある5つの滝の総称。佐々木小次郎が剣の修業に励んだと言われている