福井で育った唯一の天皇、継体天皇

第26代天皇として即位(そくい)。幼い頃、越(こし)の国(福井県)へ移り住み、福井平野の治水(ちすい)など数々の伝説を残しました。

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育ちは越の国(福井県)
近江(おうみ)の国(現在の滋賀県高島市)で、彦主人王(ひこうしおう)と振媛(ふりひめ)の間の子として生まれますが、早くに父親を亡くし母の故郷である越(こし)の国へ母と共に移り住みました。

そこで王にふさわしい教育を受けながら、越前漆器(えちぜんしっき)の奨励(しょうれい)や福井平野の治水、笏谷石(しゃくだにいし)採掘に貢献するなど数々の伝説を残しました。

50年余りを越の国で過ごした後、57歳で都に上り第26代目の天皇として即位しました。
継体天皇が生まれた近江国(高島市)©福井テレビ
彦主人王のものと見られる古墳©福井テレビ
継体が即位した都・樟葉宮の址©交野天神社
美しい母親
三国の坂中井(さかない:現在の福井県坂井市あたり)出身の継体天皇(けいたいてんのう)の母・振媛(ふりひめ)はとてもきれいな人だったといわれています。

日本書紀によると「顔容殊妙(かおきらぎらしくて)、甚(はなはだ)うるわしき色ある」(顔きらきらして大変美しい)と記載されています。

美人の母をもつ継体天皇が男前だったかは分かりませんが、継体天皇の容姿を表すものとして、足羽山山頂の足羽山公園三段広場や越前の里・味真野苑(あじまのえん)には継体天皇の像が建てられています。
継体天皇像(福井市・足羽山)©福井テレビ
9人のお妃たち
継体天皇(けいたいてんのう)が迎えた9人ものお妃(きさき)たちは、いずれも大和(やまと)から東国にかけての豪族(ごうぞく)の娘でした。

最初のお妃・目子媛(めのこひめ)の2人の子供は、後に27代、28代の天皇になっており、お妃たちの力は天皇の勢力の強大化につながったといわれています。

また、天皇即位の時の皇后は手白香皇女(たしらかのひめみこ)で、この人物は第24代仁賢(にんけん)天皇の娘であり、第25代武烈(ぶれつ)天皇の姉にもあたります。より天皇家との血筋を固めるための結婚だったといえます。
治水伝説
継体天皇(けいたいてんのう)の時代は、現在の福井平野は大きな湖や沼があり、そこへ九頭竜川、日野川、足羽川が注いでいたといわれています。

そこで、継体天皇が三国に水門(みなと)を開いて平野の水を海に流すと、広大な福井平野が現れたという伝説が残っています。この功績(こうせき)に感謝して、坂井市三国町の三國神社では継体天皇を祀(まつ)っています。

また、坂井市春江町にある石塚神社の磐座(いわくら)と言われる大きな岩は、継体天皇が治水工事の陣頭指揮(じんとうしき)を執(と)るために立っていた岩だと伝えられています。
福井平野©福井テレビ
三国祭りでは、継体天皇の御神体を載せた神輿が出る©福井テレビ
継体天皇が治水工事を指揮するために立ったといわれる磐座(いわくら)©交野天神社
笏谷石採掘伝説
笏谷石(しゃくだにいし)は、福井市足羽山付近で採取される火山礫凝灰岩(かざんれきぎょうかいがん)です。色が美しく、柔らかいため細工がしやすいという特長を持ち、墓石や石仏の材料、塀などに利用されてきました。

「笏谷石は継体天皇が発見し、その利用方法を民に教えたものである」という伝説があり、越前の古墳から出土する石棺(せっかん)はほとんどが笏谷石製です。

足羽山の継体天皇の石像も笏谷石で作られています。
盛源寺石仏群©福井テレビ
福井城址の石垣©福井テレビ

歴史年表

450年ごろ 
近江国(現在の滋賀県)で彦主人王の子として生まれる。この年の前後に、母・振媛のふるさと、越の国(福井県)に移り住んだと言われる。
507年
57歳で樟葉宮(大阪府枚方市)に上り、第26代の天皇として即位。3度都を遷す。
531年
病により磐余玉穂宮(奈良県)で82歳の生涯を閉じる。

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足羽山/継体天皇像

足羽山の三段公園には、笏谷石の職人たちが立てた石像が残ってる

足羽神社

継体天皇が治水工事の安全を祈願するために建てたといわれる神社。都に上る際、自らの御生霊も祀った

三國神社

三国に水門を開き福井平野の治水を行ったといわれる継体天皇を祀る神社。5月の三国祭りは北陸三大祭りのひとつ

高向神社

継体天皇の母・振媛(ふりひめ)を祀る神社。この辺りに継体天皇が幼少期を過ごしたと高向宮があったといわれる

うるしの里会館

継体天皇が奨励したことにはじまると伝えられる越前漆器をテーマにした施設

岡太神社

毎年2月11日には、継体天皇即位を祝う蓬莱祀が行われる

越前の里・味真野苑

謡曲『花筺』に歌われる継体天皇と照日の前にちなんだ銅像が建っている

石塚神社

境内には、継体天皇が治水工事を指揮するためにたったと伝えられる岩坐がある