大野藩再建に力を尽くした土井利忠
幕末の大野藩の殿様(とのさま)。人材育成や地場産品(じばさんぴん)を売り出す改革をすすめ、赤字財政にあえぐ大野藩を建て直しました。
偉人のあゆみを調べよう!
- わずか8歳で殿様に
- 大野藩の5代目の殿様だった父・土井利義(どいとしのり)が隠居するとき、利忠(としただ)はまだ生まれていませんでした。そのため、利義が養子に迎えた利器(としかた)が第6代の殿様になりました。
やがて、利忠が八歳で名を改めた直後、義兄の利器が病気になってしまいます。利忠は、急きょ利器の養子となります。そして、利器が亡くなった後、利忠は、大野藩土井家のあとを継ぎ、殿様になりました。
まだ幼かった利忠は、19歳になるまで江戸のお屋敷で育てられました。
柳廼社蔵/大野市博物館(歴史博物館)展示
©福井テレビ - 幕末の百貨店・大野屋
- 利忠(としただ)が大野藩の財政再建のために行った改革のひとつに「大野屋」があります。
これは、大坂(現在の大阪)や箱館(現在の函館)など全国19ヶ所に、藩内で作られたタバコや生糸(きいと)などの特産品を扱う店「大野屋」を開き、藩内の商品を他の藩に売るというもの。
面谷鉱山での銀や銅を後ろ盾にした藩札を発行し、藩内の特産品の生産を奨励、「大野屋」を通して全国に販売しました。
大野藩が経営する百貨店ともいえるこのお店の利益が、藩の財政再建に大きく貢献しました。
利忠が重要な家臣にした内山七郎右衛門良休(うちやましちろうえもんりょうきゅう)が、その運営にあたりました。
函館市中央図書館蔵
大野市博物館(歴史博物館)所蔵・展示 - 人材育成の拠点を設立
- 利忠(としただ)は、家来たちに西洋の学問を学ばせて人材を育成するため、その拠点づくりに力を入れました。
1843年(天保14年)、学問所創設を命じ、翌年藩の学校として「明倫館(めいりんかん)」を開校。朱子学(しゅしがく)を授業の中心としましたが、他の学問の講義や医学も取り入れました。
その後、蘭学(西洋の学問)も取り入れた洋学館を設立。全国から生徒が集まるようになりました。
「明倫館」は、内山兄弟の弟・内山隆佐(うちやまりゅうすけ)らが世話役を務めました。
©福井テレビ - 「大野丸」の活躍
- 「大野屋」の商品を運ぶために、新しく西洋帆船(はんせん)「大野丸」がつくられました。
「大野丸」は、主に敦賀と箱館(現在の函館)を往復して利益を上げる一方、北海道・樺太(からふと)の開発や、国境警備で大きな役目を果たしました。
また、活躍はそれだけにとどまらず、箱館滞在中には、奥尻(おくしり)沖で座礁(ざしょう)した米国商船を救助して、米国から謝礼を贈られるということもありました。
大野市博物館(歴史博物館)所蔵・展示
柳廼社蔵/大野市博物館(歴史博物館)展示 - 自筆で下した命令
- 1842年(天保13年)、利忠(としただ)は自筆による「更始の令(こうしのれい)」を出ししました。
その内容は「藩財政及び藩士会計はもうどうにもならず、ここまで放置したのは我々の責任である。今後は君臣(くんしん)上下一体となって倹約を旨(むね)とし、不正を許さず、藩主に対しても気がついたことは直言(ちょくげん)でも封書(ふうしょ)でもよいから申し出てもらいたい」というものでした。
その後、利忠は国許(くにもと)にいる時も江戸に参勤(さんきん)している時も、自筆の命令により改革を進めていきました。
©福井テレビ
歴史年表
- 1811年(文化8年)
- 江戸藩邸で生まれる。
- 1818年(文政1年)
- 元服し、大野藩土井家を相続する。
- 1842年(天保13年)
- 「更始の令」を出す。
- 1844年(弘化1年)
- 「明倫館」創設。
- 1855年(安政2年)
- 「大坂大野屋」開店。
- 1856年(安政3年)
- 蝦夷地探検実施。洋学館開設。
- 1858年(安政5年)
- 西洋帆船「大野丸」を建造し、蝦夷開拓に従事する。
- 1868年(明治1年)
- 58歳で没す。
関連ポイントを探す
越前大野城
織田信長の家臣・金森長近が築いたお城。その石垣は、野面積みという工法で積まれている
武家屋敷・旧内山家
幕末の大野藩の改革を支えた内山兄弟の遺徳を偲ぶため、後の内山家の屋敷を解体復元し、保存したもの。母屋は明治15年(1882)ごろに建てられたもの
柳廼社
幕末の大野藩の殿様、土井利忠公をまつる神社。秋には大野一の祭りで賑う
御清水
かつて城主の米を炊くのに用いられたことから、敬意を表して「御清水」あるいは「殿様清水」と呼ばれている
明倫館跡
天保14年(1843)に開設された藩校・明倫館は、利忠に仕えた内山隆佐らが世話役を務めた
大野市歴史博物館
縄文から近代までの大野の歴史を知ることができる。特に幕末の藩政改革の資料が充実
平成大野屋
観光案内に特産品販売・レストラン等を整備した、まちなか観光の拠点となる施設。「大野屋」は江戸時代末期に大野藩が開いた特産品販売店の名前