直木賞作家、水上勉

『雁の寺』で直木賞(なおきしょう)を受賞した作家。故郷の福井を舞台にした小説『越前竹人形』など、多くの作品が映画化されています。

偉人のあゆみを調べよう!

小説家としての活躍
現在の福井県大飯郡おおい町に生まれ、幼くして京都の禅寺(ぜんでら)に修行に出されました。

20才の頃、雑誌に投稿した文章がある作家の目に留まり上京することになります。

41才のとき、『霧と影』を発表。新しい社会派推理小説として脚光を浴びます。
翌年の昭和36年7月、『雁の寺』で第45回直木賞を受賞。
その後、『五番町夕霧楼(ごばんちょうゆうぎりろう)』や『飢餓海峡(きがかいきょう)』など数々の名作を世に送り出します。

『越前竹人形(えちぜんたけにんぎょう)』や『弥陀の舞(みだのまい)』『城』など福井を舞台にした作品も数多く残し、昭和60年には故郷の福井県おおい町に若州一滴文庫(じゃくしゅういってきぶんこ)をつくりました。
『霧と影』若州一滴文庫蔵
直木賞受賞作品『雁の寺』若州一滴文庫蔵
福井県が舞台『越前竹人形』若州一滴文庫蔵
水上の文学精神
水上勉は、弱者の側に立つ眼(め)と美学と宗教観によって独自の作風を確立。その一貫した文学精神によって、社会福祉の問題などにも関心をもち、常に影響力のある発言をし続けました。
若州一滴文庫
昭和60年、ふるさとの福井県大飯郡おおい町に自費で「若州一滴文庫(じゃくしゅういってきぶんこ)」を開設しました。

水上勉が集めた約2万点の蔵書(ぞうしょ)が収められた図書館と絵画や書の展示室からなる本館のほか、竹人形約60体と頭(かしら)約250点を展示する竹人形館があります。

また、毎年春と秋に2回竹人形文楽を定期公演するくるま椅子劇場は、美しい竹やぶが舞台背景となっていて、多くの観客を魅了しています。

「若州一滴文庫」の名前は「一滴の水も粗末にするな」と諭(さと)したおおい町大島出身の儀山和尚(ぎざんおしょう)の「一滴の水」の逸話と、若狭の国を表す「若州」を合わせてつけられました。

「郷土(きょうど)の先輩の教えを後世に伝えたい」という思いが込められています。
若州一滴文庫©若州一滴文庫
佐分利川べの子らに©若州一滴文庫
くるま椅子劇場©若州一滴文庫
パソコンとWeb
水上勉は78歳頃から「パソコンやインターネットが、体の不自由な人や高齢者を新しい世界につなげる道具」と興味を持ち、自らも積極的に利用しました。
仲間のやりとりにもメールを使っています。

歴史年表

1919年(大正8年)
福井県大飯郡本郷村(現福井県大飯郡おおい町)に生まれる。
1930年(昭和5年)
11才の時、若狭を離れ京都の禅寺に修行に入る。
1932年(昭和7年)
出家したことを後悔し、お寺から脱走するがまもなく引き戻される。
1944年(昭和19年)
空襲を避け、故郷若狭へ疎開。青郷国民学校高野分校(現在の高浜町青郷小学校高野分校)で代用教員を務める。
1945年(昭和20年)
上京。
1948年(昭和23年)
『フライパンの歌』がベストセラーになる。
1954年(昭和29年)
友人と東京服飾新聞社を起すが、不況のあおりで間もなく倒産。この後、仕事を転々とする。
1959年(昭和34年)
繊維業界に起きた日共トラック部隊事件を素材とした『霧と影』が新しい社会派推理小説として脚光を浴びる。
1960年(昭和35年)
『霧と影』が直木賞候補となる。
1961年(昭和36年)
『海の牙』で日本探偵作家クラブ賞を受賞。『雁の寺』で直木賞を受賞。
1963年(昭和38年)
前年から連載していた『飢餓海峡』が完成。朝日新聞社から刊行。『五番町夕霧楼』『越前竹人形』刊行。
1966年(昭和41年)
若狭を舞台にした『城』で文藝春秋読者賞を受賞。
1969年(昭和44年)
越前和紙の里を舞台とした『弥陀の舞』を刊行。
1972年(昭和47年)
『蛙よ、木からおりてこい』(のちの『ブンナよ、木からおりてこい』)を刊行。
1974年(昭和49年)
『はなれ瞽女おりん』を発表。
1975年(昭和50年)
『一休』で、谷崎潤一郎賞を受賞。
1977年(昭和52年)
『金閣炎上』を発表。『寺泊』で川端康成賞を受賞。
1984年(昭和59年)
『良寛』で毎日芸術賞を受賞。
1985年(昭和60年)
故郷の福井県大飯郡大飯町(現おおい町)に「若州一滴文庫」を開設。
1986年(昭和61年)
日本芸術院恩賜賞受賞。
1989年(平成1年)
若州一滴文庫に「くるま椅子劇場」を建設。心筋梗塞で入院。
1991年(平成3年)
現在の長野県東御市に庵を構え、執筆活動の傍ら陶芸や野菜作りなど晴耕雨読の暮らしを始める。
1998年(平成10年)
文化功労賞受賞
2002年(平成14年)
福井県民賞受賞。『虚竹の笛』で親鸞賞を受賞。
2004年(平成16年)
肺炎のため85歳で逝去。

関連ポイントを探す

若州一滴文庫

おおい町出身の作家・水上勉がふるさとに建てた文庫。代表作「越前竹人形」にちなんだ文楽などが上演できるステージも併設されている

青郷国民学校高野分教場跡

第二次世界大戦中、ふるさとに疎開していた水上勉が代用教員を務めた学校。当時の建物は、現在農作業小屋となっている

佐分利川

若州一滴文庫には「佐分利川べの子らに」という題名で、故郷の子どもたちへの伝言がある

あわら温泉

水上勉の代表作「越前竹人形」の舞台となった。セントピア広場には竹人形をモチーフにしたモニュメントが設置されている

三丁町

かつての繁華街。現在も古い街並みが残っている。水上勉の小説「波影」の舞台になった